山間の集落、いまでは都会に出た方た多く人口が少ない集落。
行ってみると、良くこんなところで生活していたなあ?なんて思うところ。かってはある程度の人口もあったから学校もあったのだろう。当時として結構立派なものでは無かったのではないでしょうか?
藤沢と言う地籍からその芝平と言う集落に向かって走っていくと本当に古いバス停が(上の写真)
その隣に、まっ錆びに錆びた火の見櫓と、同じ看板がいくつも。なんでしょうねえ、もう何年もここは時代が止まってる。
そしてその廃校に到着、もう使われなくなってから相当年数がたつのでは。この校舎はできてから何年たつのでしょう?100年近くになるのでは?
以前は補修もしていたようだですがが、今ではもう補修もせずそのまま放置・・・・でもなにかを感じる風情だ。
中に入ってみたいと思いましたが、鍵がかかっていて入れない。入ると不法侵入だからねえ・・・
そんなに古くはない時まで使っていたような形跡がある。
図書館だろうか、囲炉裏もあり風情があるのではないか。きっとこの図書館で、そしてこの囲炉裏の周りで暖をとりながら読書を子供達がしたのではないのでしょうか?
向かって右側が玄関のようだ。ボロボロですが、風情を感じる。どこかにこの校舎についてのなにかが書いてあるかと探して見たがが無かった。
何年位前に作られて、何年前には廃校になったかと知りたいものだ。
いろろ調べてみたら、正式名称は 「三義小学校旧芝平分校」 と言う様だ。前には映画のロケもされたようですね。
この芝平は終戦後、国の政策により工業立国としてすすめられたので、過疎化が進み、昭和53年最後の30戸が集団移住され700年続いた集落が終止符となったようだ。
でも、この山間にもこんな立派な分校があったと言うことは、日本がいかに子供の教育に熱心だったがうかがえる。
中には入れないので、外から窓超しにカメラを向けて撮ったもの。これは体育館。
なんか、昔の着物を着て鼻水をたらしてチャンバラかなんかして遊んでる坊主たちの遊んでいるような光景を想像すると楽しい。
そんな写真があったら面白いだろうなあ・・・
カメラを持ち何枚か写真を撮ったのですが、なんとなくこの文字が気になり。
子供達がここから楽しく、笑いながら出たり、入ったりしたんでしょうねえ・・・・
日本を歩いても、世界を歩いても、風情ある古い風景が好き。
これからこういった風景も無くなるでしょうから。
残しておくと言っても、行政はそう言うわけににはいかないでしょうから、いつかは無くなるでしょうから。
2017年3月初旬